第一部 忠誠の剣
第一話 騎士の初陣
帝国暦一九八年、春。
アルセリア王国の西部平原には、柔らかな陽光が降り注いでいた。
冬の寒さが去り、丘陵には新しい草が芽吹き、街道沿いの木々も淡い緑に包まれ始めている。
遠くには石造りの見張り塔が立ち、その向こうに連なる丘の稜線が、朝の光の中に霞んでいた。
街道を進む騎士たちの姿があった。
先頭を行くのは、一人の若い女騎士である。
銀を帯びた淡い髪が春風になびき、紺の外套が馬の歩みに合わせて揺れる。
エリシア・アルセリア。
アルセリア王国第一王女にして、王国騎士団の指揮官。
二十四歳という若さでありながら、その落ち着いた振る舞いと誠実な人柄は、騎士たちから深い信頼を寄せられていた。
「姉様!」
背後から明るい声が響いた。
振り返ると、金色の髪を揺らしながら、一人の少女が馬を進めてくる。
フィオナ・アルセリア。
エリシアの五歳下の妹であり、同じく王国に仕える騎士である。
「少し速度を落としませんか? ライオネルたちが随分と後ろにいます」
「あなたが先ほどから馬を急がせているのでしょう、フィオナ」
「だって、こんなにいい天気なんですもの」
エリシアは小さく息をついた。
その表情に、わずかな笑みが浮かぶ。
「任務の途中だということを忘れないで」
「分かっています。でも、こうして姉様と一緒に街道を進めるのは久しぶりでしょう?」
その無邪気な言葉に、エリシアは答えなかった。
妹の明るさは、ときに彼女を困らせ、ときに心を和ませた。
だが、王国の騎士として剣を帯びる以上、どれほど穏やかな日であっても気を緩めるわけにはいかなかった。
「殿下方」
後方から、低く落ち着いた声が届いた。
騎士団副団長、ライオネル・ベルクである。
四十二歳。二人の王女に剣を教えてきた熟練の騎士は、長年の経験によって培われた慎重さを、その表情に宿していた。
「前方の街道に、人の動きが見えます」
エリシアの表情が変わった。
「商隊ですか?」
「いえ。あの様子は……」
ライオネルが言葉を切った。
丘の向こうから、一人の男が駆けてくる。
衣服は泥に汚れ、肩で息をしながら、何度も後ろを振り返っていた。
やがて騎士たちの姿を見つけると、男は力を振り絞って叫んだ。
「た、助けてくれ!」
フィオナが真っ先に馬を進めた。
「どうしたのですか!」
「リーヴェ村が……山賊に襲われているんだ! 食糧も、家畜も……何もかも奪われちまう!」
エリシアは馬を止めた。
リーヴェ村。
この街道からほど近い、小さな農村だった。
「山賊の人数は?」
「わ、分からねえ……二十人はいたと思う。斧や剣を持って、逆らう者には容赦なく……!」
「姉様!」
フィオナが振り向いた。
その目には、すでに強い決意が宿っていた。
エリシアは一度だけ目を閉じ、短く思考を巡らせた。
状況は明白だった。
このまま放置すれば、村人たちに被害が及ぶ。
「ライオネル。全員に伝達を。直ちにリーヴェ村へ向かいます」
「承知しました」
「フィオナ」
「はい!」
「村人の保護を第一に。敵の人数も配置も分かっていません。決して先走らないように」
「分かっています!」
勢いよく答える妹を見て、エリシアはわずかに眉を寄せた。
ライオネルが苦笑する。
「相変わらずですな、フィオナ殿下は」
「……ええ。だからこそ、目を離せないのです」
やがて、騎士たちは馬を駆けさせた。
春の穏やかな街道に、蹄の音が響き渡る。
丘を越えた先に、細く黒い煙が立ち上っていた。
それが、二人の王女にとって長い戦いの始まりとなることを、このときはまだ誰も知らなかった。
